山内昌徳インタビュー

平成24年度事業
山内昌徳インタビュー
実施日:2016年11月30日
場所:山内昌徳宅
コーディネーター:小浜司
ゲスト:山内昌徳

※以下文章抜粋(全文はおんがく村にて購読可能です)

小浜:読谷の牧原という所に生まれたそうですがその当時の様子を教えて下さい。
山内:生まれてからまあ、小学校まででしょう。牧原にね。牧原から古堅小学校に行くと約1里。6キロくらいあったんだよね。それでもう、雨降りなんかにはね、比謝川の上の方から、よく滑る道があったんだよ。小さい道が。それでね2回くらい転びよった。16、7歳なったらね、もう農業。農業していた。農業していてももう、あの芋とねサトウキビなんか。こんなの作って。まあ、一番金になるのはサトウキビだな。

小浜:幼い頃から三線を弾かれていたんですか?
山内:うちはね、お父さんも弾くし、それから長男兄さんも弾くし、次男も弾くしね、僕三男なんだよ。それでね、もういつも見て おって、三味線の音を聞いてるもんだからね、それで、年頃なって16、7歳なったらね、もう親父がいない時に、三味線盗んでね、箱から出して、友達と一緒に、友達の家で友達の“アサギグワァー(離れ屋)”なんか、“ニーケーグワァー(二階)”なんかでね、弾いて遊びよったよ。これがまあ三味線の始まりだな。

小浜:毛遊び”を体験したことがあるそうですが?
山内:うちの部落(集落)はそうしの木(相思樹)が沢山あったわけよ。それに登ってね、むこうで三味線弾きよったよ。夜。毛遊びとか、あんまり、男と女のとかは無いけどさ、うん。1人遊びをよくした。それでね、ほかの部落には遊びには行ってるよ。行ってるけどね、三味線弾いて毛遊びとかはね、なかなかしない。ちょと真面目なほうだったよ。


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